NHK朝ドラ「舞いあがれ」の脚本家”桑原亮子”が中途失聴の障害がありながらも、丁寧な取材力で魅力的な作品を手掛けることで話題になっています。
中途失聴っていつから?なのか気になります。桑原亮子の生い立ちや、脚本家になろうと思たきっかけなど探っていきたいと思います。
この記事では、
- 桑原亮子の中途失聴障害はいつから発症していたのか?
- 桑原亮子が脚本家になるまでの生い立ちは?
- 桑原亮子が脚本家になるきっかけは?
- 朝ドラ「舞いあがれ」にかける思いは?
こちらを調査しましたのでご覧くださいね。
右側→が桑原亮子さんです。↓
\ 僕の役者人生の中で記念碑的な作品になりました!/【 土曜ドラマ『 #心の傷を癒すということ 』会見リポート 】<総合 毎週土曜日よる9時~ 4K制作・全4回>主演の #柄本佑 さん「こんな台本に出会えるのは人生で何回訪れるかわからない」。脚本の #桑原亮子 さんも⇒https://t.co/gki5tYG6Tr pic.twitter.com/Vl7HuMb8cj
— NHKアーカイブス (@nhk_archives) January 18, 2020
桑原亮子の中途失聴障害はいつ発症した?
■小学生時代
小学6年から、だんだん耳が聞こえにくくなったそうです。
耳が聞こえないというのは、大きなマイナスなことなので、それを埋めるためには何か色々なプラスのことを足さなくではいけないと考えました。
耳が聞こえなくても勉強を頑張ったり、資格を取ったりしたら、そのマイナスが埋まるんじゃないかと。
耳が聞こえないことを受け止めて、それをバネにしてプラスのことで埋めていく。そう考える桑原亮子さん。
大きく悩み、葛藤があった上でも、向上心のある思考力が魅力的です。
桑原亮子が脚本家になるまでの生い立ちは?
■中学生時代
兵庫県西宮市の私立中に進学後、原因不明の「感音性難聴」と診断される。
感音性難聴とは?
感音性難聴の主な原因は内耳の機能に問題があるためで、またその内耳の奥にある蝸牛神経(聴神経)や脳に問題があることから、神経性難聴ともいわれる。
西宮市にある祖母の家に下宿し、そこから私立中学校まで通いました。
中学2年生で阪神淡路大震災で被災しています。被災と言ってもケガはありませんでした。余震の中、実家の京都に避難しました。
春ごろに西宮に戻りましたが、自分が無事だったことが後ろめたい気持ちになりました。
この震災の経験が後の土曜ドラマ「心の傷を癒すこと」の制作につながります。
■高校生時代
10代のころは、聞こえない悩みを友達に言えず隠していました。
高校時代に友達と連れだって歩いて喋りながら下校しますよね。
その時に友達の会話を聞き取ろうと、どんどん友達に近づいていって友達がどんどん道の端に追い詰められて。しまいには溝に足を突っ込んでしまう。ということがありました。
もちろん危ないって友達に怒られるんですが、聞き取りたくて近寄った。と正直に言えず、「ごめんね、ちょっと夢中になっちゃった」とごまかしていました。
中学生という多感な時期に、自分をさらけ出すのは難しいことです。耳が聞こえなくても、ふさぎ込まず関わり合いを大切にしている姿勢が見受けられます。
■大学生時代
早稲田大学 第一文学部卒業
耳が聞こえないハンディを補うために、弁護士の資格取得を目指します。
しかし同時に難聴が悪化し、弁護士の夢を諦めました。
桑原亮子が脚本家になるきっかけは?
■ある本との出会い
弁護士の夢をあきらめかけていた頃にある本と出会います。
その本は「文芸雑誌」で、一般人が書いた詩や童話が掲載されています。身近な幸せや、喜びをつづった文章に心を惹かれました。
本屋で雑誌を立ち読みしていましたが、すぐに買って抱きしめるようにして帰りました。本当に素朴な詩や、可愛いらしい小さな話だったり、何か私だけの宝物を見つけた気持ちがしました。
しばらくその雑誌を読んだり、作中のきれいなイラストを切り抜いてお部屋に貼ったり楽しんでいました。
ふと、そういえば私も文学部にいることだし、書けるのでは?
これがきっかけで、物語を書いては出版社に投稿します。自作の童話が雑誌に掲載されると、本格的に書く仕事がしたい!とシナリオ・センター大阪校という、小説やエッセイを学ぶ学校に進むことにしました。
シナリオ・センター大阪校 60期卒業
■2012年
●「星と絵葉書」 桑原亮子
第41回創作ドラマ大賞 奨励賞受賞→平成24年(2012年)
wikiペディアには2013年と記載されていますが正しくは「第41回=昭和24年=2012年」です。
■2014年
●「夏の午後、湾は光り、」 桑原亮子
第35回BKラジオドラマ脚本賞 最優秀賞→第35回
wikiペディアには第53回と記載されていますが、
正しくは「第35回」です。
2022年度に第43回の募集をしています
■2015年
●「禁断の実は満月に輝く」
NHK バリバラ特集ドラマで初めてテレビドラマの脚本を手掛ける。
障害者に関係するお話ですが、重たくなくユーモラス。食べると障害が無くなるという「禁断の実」を求めて旅に出るお話です。
NHK Eテレ バリバラ
「禁断の実は満月に輝く」
12/6午後4時〜4時54分
私は副音声担当。
ちょっとユーモラスで変わったタッチ。障害者にまつわる話ですが重くありません。
いいドラマです。— 松本保典 (@ryouta3527) December 5, 2015
■2017年
●「冬の曳航」 桑原亮子
戦国時代に日本にやってきた宣教師のガスパル・ビレラが1562年に堺で目撃した補陀落は石をくくりつけた上人が船から直接入水するもので、港や沖では入水するたびに歓声と読経の声が上がったという…
— B.L (@blqueen3) April 20, 2019
■2020年
●「心の傷を癒すということ」
NHK 土曜ドラマで初めて連続ドラマの脚本を担当をしました。
先ほども記述しましたが、自身の震災体験をきっかけに執筆しました。
この時に手探りで始まった精神医療の活動を担った「精神科医・安克昌(あん かつまさ)」を題材にしています。桑原亮子はPTSD研究の先駆者として丁寧に取材し、細かく聞き取りを行い作品を書き上げています。
■2021年
●「舞いあがれ!」
NHK 2022年下半期連続テレビ小説 朝ドラ「舞いあがれ!」の脚本を担当
空とパイロットにあこがれ、東大阪と長崎の五島列島で、人々との絆をはぐぐみながら、夢へ向かい奮闘するヒロインを描く。
完全に桑原亮子のオリジナル作品となるため、ストーリーは明らかになっていない。
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前回の朝ドラ「ちむどんどん」の脚本家についてまとめています。
気になる方はこちらから↓
ちむどんどん脚本家の羽原大介の国籍は?韓国といわれる理由は?
桑原亮子が朝ドラにかける思いは?
■桑原亮子のコメント
あるパイロットが「パイロット廃位仕事だと思う」とおっしゃったときに、
どのような理由をあげますか?
- 外国に行けるから?
- やりがいのある仕事だから?
- 再就職しやすいから?
いえいえ・・・予想はどれもハズレです。
答えは「空を見上げる仕事だから」
パイロットは飛行機に乗る前に空を見上げて天候チェックします。必要に迫られて空を見ているうちにいつの間にか元気になれる!だからいい仕事なのだそうです。
このドラマも辛いことがあるたびに空を見上げて前に進みます。その姿を見ているうちに元気が出てくる。そんなドラマになることを願っています。
■制作統括のコメント
コロナ禍や様々な災害が多い今、どのような物語がふさわしいのか?
空を飛ぶには向かい風が必要です。いろんな人生の逆風を受けながら、高く飛ぼうとする。
辛いこと、大変なことが多い毎日ですが、夢を現実にしていくヒロインをみて、毎朝明るい気持ちになれるドラマにしたいと思います。
引用:リアルサウンド
まとめ
桑原亮子のハンディーを前向きにとらえる生き方や、夢に向かって果敢に挑戦しようとする考え方が作品の随所に表現されています。
朝から勇気が出たり、元気をもらえる作品が見れるのは幸せなことです。
朝ドラが始まるのを心待ちにしています!
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