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羽原大介の国籍は韓国?生い立ちや父親の情報も調査!

羽原大介の国籍は韓国?生い立ちや父親の情報も調査!

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こちらの記事にPRが含まれます。

「ちむどんどん」の脚本家である羽原大介(はばらだいすけ)国籍が韓国と言われる理由について調べました。生い立ちや父親の情報も調査しましたのでご覧ください。

    目次

    羽原大介の国籍は韓国?

    ■国籍は日本

    国籍は日本で、鳥取県倉吉市出身です。

    ネットで、出身地が東京都?や国籍が韓国?などさまざまな声がありますが信憑性がなくデマの可能性が高いです。

    ではどうして韓国?といわれているのでしょうか?

     

    韓国といわれる理由は?

    ■つかこうへいとの出会い

    羽場大介が大学卒業後にアイドルのマネージャーをしていました。

    先輩マネージャーの紹介でつかこうへいに会い、

    「お前なんで大学まで出てアイドルのストッキングたたむような仕事しているんだ。会社辞めて俺のところに来たらいいじゃないか」と、つかこうへいに言われた翌日に辞表を出した。

    そこから、羽場大介の人生の転換期となる。

    つかこうへい事務所で運転手・付き人・裏方を経験し、3年後につかの紹介で映像制作会社で脚本を書く。

    1992年に脚本家でデビュー

     

    ■つかこうへい

    つかこうへい事務所

    在日朝鮮人二世 福岡県生まれ

    (1948年4月24日~2010年7月10日)

    日本名:金原 峰雄(かねはらみねお)

    韓国名:金 峰雄(キム・ボンウン)

     

    ■「つかこうへい」のペンネームは?

    「いつかこうへいに」という在日差別に対する強いおもいが込められています。

     

    つかこうへいは、役者だけでなくアイドルやモデルも本格俳優に育てる天才で、誰もが役者として花開き、映画やテレビの世界に羽ばたいていきました。

    つかこうへいのプロディース力は日本だけに留まりませんでした。

     

    1982年に劇団を解散した後に執筆に専念し、1987年にソウルを訪れ韓国人俳優を集め「熱海●人事件」を上映し、成功を収めました。

    この時の俳優陣も、韓国で代表する役者になっています。

    ■つかこうへいの影響力?

    劇作家・つかこうへい(1948~2010)に師事したことでも知られる羽場氏は、過去インタビュー取材で「底辺の人々の視点で社会を見る。それができているとすれば、間違いなくつかこうへいから学んだこと」と、つかから学んだ脚本家としてのスタンスを語っていた。

    ー----

    羽原氏を脚本の道へ導いたのは、70年代から80年代にかけて日本の演劇界に爆発的なブームを起こし、多くの人気俳優を輩出したつかとの出会いだった。晩年まで朝鮮にルーツを持つ背景を封印し続けたつかは、「どんな人間でも笑って泣ける芝居がつくりたいんだ」と再三口にしていたという。そんなつかの勧めではじめた羽原氏の脚本家人生で、貴重な体験として記憶されているもの。それは映画「パッチギ!」を通じて出会った在日社会だった。

    [引用元]https://chosonsinbo.com/jp/2017/03/0308hj/

     

    演劇界のカリスマ的存在つかこうへいから受けた影響は大きかったのですね。

     

    羽場大介さんは、「マッサン」「パッチギ!」に次ぐ「ちむどんどん」をどう描くのか期待されています。

    「ちむどんどん」では批判的な声が多いのが事実です。

     

    「アメリカ・日本・中国」の関係性で沖縄の歴史を描き後世に残す。それを書く達人だから期待されていたのですよね。

    まだ波乱が続くなんて・・・

    SNSで騒がれているのも想定内ならすごいですが、ねずみ講を後押ししたり、暴力は見ていられません。

    なかなかきれいごとで済まされない時代背景ではありますが、NHKが取り扱う朝ドラという枠というのを考慮して放送しているのか疑問です。

     

     

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    羽原大介の生い立ちは?

    羽原大介の生い立ちを調べましたが、小学生より幼い時のエピソードは見つかりませんでした。

    小学校からの生い立ちをまとめます。

    ■羽原大介の生年月日

    1964年11月27日(現在57歳)

     

    ■羽原大介の生い立ちは?

    小学校は鳥取県の『倉吉市立成徳小学校』

    中学校は鳥取県の『倉吉市立東中学校』

     

    高等学校は山梨県の『日本大学明誠高等学校』

    大学は東京都の『日本大学芸術学部』文芸学科卒業

    ■受賞歴

    • 第29回アカデミー賞優秀脚本賞「パッチギ!」
    • 第30回アカデミー賞最優秀脚本賞「フラガール」

     

    羽原大介の父親は?

    NHK「ちむどんどん」公式ページより

    名作の「若草物語」からイメージを膨らませた。

    賢秀は、自身の父親と同じキャラクター設定にしました。

    羽原大介の父親は、下に3人の妹がいる長男でなくなる直前まで家族に迷惑ばかりかけるやんちゃな人でした。

    破天荒で、親孝行しても裏目に出てしまう。トラブルメーカーだが、家族を思うあまりの空回りに愛着がわく。悪い人ではないんですね。

    賢秀は1950年前後に生まれたという設定で、自身の父親と近い年齢でした。

     

    まとめ

    • 羽原大介の国籍は日本
    • 羽原大介の国籍が韓国といわれる理由はつかこうへいの影響?
    • 羽原大介の生い立ち
    • 羽原大介の父親像

     

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    この記事を書いた人

    全国のライブ会場について紹介します!コンサート・ライブ・演劇・音楽が大好きです。エンタメは人を楽しませ心が豊かになりますよね^^最高に楽しめるようにお役立ち情報を集めていきます♪

    コメント

    コメント一覧 (3件)

    • しつこくて見ていて嫌になる。ちむどんどん
      家内が見ているから付き合わされているだけ次回からこの作者の物は見ないことにした。

    • 沖縄県ものだから好意的に、始めの、10回くらい見て、何か変だな?気持ち悪くなり見るのを止めた。日本の自然普通の感性から外れて馬鹿らしくなり見るのを止めた。案の定NHKは、脚本家も選定すべき!払わんぞ。

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